技術系診断士から見た中小企業におけるIPランドスケープの要点

はじめに
本コラムをご覧いただき誠にありがとうございます。中小企業診断士の古田 啓と申します。
著者は、診断士として独立する前、30年以上にわたって民間企業(中小企業、上場企業)に勤務し、ほぼ一貫して技術開発・研究開発に携わりました。また、自身が開発した技術の事業化を主導したこともあります。
このような経験をふまえ、私自身「技術系診断士」の一人として、事業化の成否は、技術開発・研究開発(以下、併せて“開発”と略す)のテーマと経営戦略に強く依存する、と考えます。
本コラムで取り上げる「IPランドスケープ」(以下適時“IPL”と略す)は、経営戦略の策定や開発テーマの選定に有用な経営手法です。近年、経済産業省や特許庁もIPLの活用を推奨しています。
IPLの“IP”はIntellectual Propertyの頭文字で知的財産(以下“知財”と略す)を、“L(ランドスケープ)”は風景を意味します。直訳は「知財風景」ですが、実際は異なった解釈がなされています。本コラムでは、IPLについて解説した後、モノづくり・コトづくりの中小企業におけるIPLの要点を述べます。
IPランドスケープについて
最初に、IPLの概要を把握するため、4つの報告書等を紹介します。
①『企業の知財戦略の変化や産業構造変革等に適応した知財人材スキル標準のあり方に関する調査研究報告書』
(平成28年度 特許庁産業財産権制度問題調査研究報告書)
①は、「IPランドスケープ」という言葉が現れた国内最初の報告書と思われます。公表は平成29年(2017年)2月でした。本報告書によるとIPLは、“自社の市場ポジションについて現状の俯瞰・将来の展望等を示すもの”です。また、パテントマップ(後述)ではない旨の注書きもあります。
なお、①のタイトルにある「知財標準スキル」 とは、“企業における知的財産の創造・保護・活用に関する諸機能の発揮に必要とされる個人の知的財産に関する実務能力を明確化・体系化した指標”(補足1)です。①の知財標準スキルはversion2であり、所謂version1は2006年に公表されました。
②『知財分析 経営の中核に』
(日本経済新聞・朝刊 平成29年(2017年)7月17日)
②の小見出し、図、本文に「IPランドスケープ」という言葉があり、次のように説明されています。
“近年、急速に欧米企業が使い始めた知財分析の手法と、同手法を生かした知財重視の経営戦略”
本記事によると、IPLの主体は知財部と経営陣です。また、知財部は従来、特許出願を増やすことに注力してきたが、今後はそのスキルを経営に生かすべき、としています。なお、日本において実質的にIPLを実践している企業として、キヤノンが挙げられています。
本記事は、日本におけるIPLの事実上のメジャーデビューと考えられます。
③『「攻めの知財」シフト進む』
(日本経済新聞・朝刊 令和元年(2019年)5月13日)
大見出しの“攻めの知財”とは、知財を積極的に経営活動に使うことです(“守りの知財”は、紛争に備えて知財を蓄えること)。③では、IPLを次のように説明しています。
・知財情報を中心としたビジネス分析をM&Aや新事業に生かす試み
・広い意味で知財を生かした経営
本記事では、ブリヂストン、旭化成、貝印、等の事例から、IPLが日本国内で広がり、成果が上がっている、としています。
④『経営戦略に資する知財情報分析・活用に関する調査研究報告書』
(令和2年度 特許庁産業財産権制度問題調査研究報告書)
④(公表は令和3年(2021年)3月)によると、IPLは、“経営戦略又は事業戦略の立案に際し、経営・事業情報に知財情報を取り込んで分析し、その結果(現状の俯瞰・将来展望等)を経営者・事業責任者と共有すること”です。また、“共有”は“知財部と事業責任者(経営陣)との双方向のやり取り”を意味します。
本報告書では、IPLには大いに拡大の余地があるとした上で、IPLの活用を推奨しています。
上記の①~④に基づき、著者はIPLを次のように捉えています。
・IPLは知財経営のひとつである。
・知財部が重要な役割を果たす。
・知財分析(特に特許分析)を活用する。
・経営戦略・開発戦略の策定、新事業・開発テーマの選定、等に有用である。
なお知財経営とは、“知財の創造・保護・活用によって、企業競争力を確保・維持・強化し、企業価値の向上と持続的成長を実現するための経営手法”と考えます。
知財について
ここでは、IPLのIP(知財)について触れます。
知財および知財権(“知的財産権”の略)の定義は、「知的財産基本法」の第2条に記されています。
・第2条 第1項
この法律で知的財産とは、発明、考案、植物の新品種、意匠、著作物その他の人間の創造的活動により生み出されるもの(発見又は解明がされた自然の法則又は現象であって、産業上の利用可能性があるものを含む。)、商標、商号その他事業活動に用いられる商品又は役務を表示するもの及び営業秘密その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報をいう。
・第2条 第2項
この法律で知的財産権とは、特許権、実用新案権、育成者権、意匠権、著作権、商標権その他の知的財産に関して法令により定められた権利又は法律上保護される利益に係る権利をいう。
また、知財に人的資産等を加えたものが、知的資産です。知財の代表例や知的資産との包含関係を図1に示します。(補足2)

図1から、IPLで活用されるIP(知財)には、特許権だけではなく、その他の知財権、営業秘密、等が含まれることが分かります。
特許の出願状況
中小企業および大企業の産業財産権(特許権、実用新案権、意匠権、商標権)の出願状況を、図2(補足3)に示します。

図2より、中小企業の産業財産権の出願件数は、大企業の1/2以下であることが分かります。また中小企業では、出願が最も多い産業財産権は商標(58.9%)で、次が特許(32.8%)です。一方、大企業では、特許の出願が最も多く、全体の3/4以上を占めています。
産業財産権毎の中小企業・大企業の出願数と中小企業出願割合を、図3(補足3)に示します。なお、実用新案の出願数は少ないため、10倍して図示しました(図中の高さの1/10が実際の出願数)。

図3から、特許の中小企業出願割合が特に低いこと(17.6%)が分かります。中小企業の企業数は全企業数の99.7%であることから、一社当たりの出願数で比較すると、大企業と中小企業の差は非常に大きいです。他の産業財産権についても、特許権程でないにせよ、同様です。
特許権
特許出願に係る発明が特許の3要件(産業上の利用可能性、新規性、進歩性)を有する場合、特許権が設定登録(特許化)されます。特許権は独占排他権であるため、特許権者のみがその発明を実施でき、経営上の優位性を確保し得ます。特許権者は、無断で当該発明を実施した者に対して、差止め(事業の停止)や損害賠償を請求できます。よって、特許権者「以外」の者にとっては、特許権が設定登録「される」ことにより、経営上のリスクが増します。
特許権の存続期間は、原則、出願から20年です。しかしながら特許権は、特許料の不納、無効審判による取り消し、等により、存期満了を待たず、消滅します。近年は、設定登録後約11年で凡そ半分の特許権が消滅しています。(補足4)消滅した特許権に係る発明は、原則、何人も自由に実施することができます。
特許分析
次に、IPLで活用される「特許分析」について、4つの視点から述べます。
検索
特許分析には、特許の検索が必要です。特許情報は公開されているため、何人もアクセスできます。特許の公的検索サイトとしては、「J-PlatPat」と「PATENTSCOPE」が知られています。両者の提供元等を表1に示します。

IPLでは、検索により、ターゲットとする新事業や新技術に関連する相当数の特許を抽出し、「特許群」(母集団)を形成します。侵害可能性調査や先行技術調査(共に後述)では、検索により(1件または複数件の)特定の特許を見出しますが、IPLの検索は、これらとは趣が異なります。
なお、PATENTSCOPEのデータベースには1億件以上の特許文献があるため、特許情報はビッグデータと言えます。
分析
IPLにおいては、特許群を統計的に分析します。即ち、出願日、出願人、特許分類、等で切り分け、「件数」に基づいて整理します。例としては、特許出願件数の経時変化や出願人のランキングが挙げられます。これらの結果をふまえ、当該技術の状況、動向、将来見通し、等を考察します。但し、考察が進む中で、特定の特許の内容について(統計的ではない)分析等を行うことがあります。
なお、表1の2つのサイトにおいても特許群の統計分析は可能ですが、簡易的なものに限られます。よって必要に応じて、自身で検索結果をダウンロードし、Excel等で分析します。但し、高度な検索や分析を行う場合は、有料の市販ソフトを使うことが一般的です。
可視化
上で例示した特許出願の経時変化は、件数・時間という2つ要素の相関であり、可視化すると2次元のグラフになります。また、詳細な分析のため、3つ以上の要素の相関を可視化することもあります。このように特許情報を視覚的にまとめたものがパテントマップです。
パテントマップの例を図4(著者作成)に示します。図4では、ある特許群について、製品の機能、原料、及びこれらの特許件数をバブルチャートで可視化しました。図中の円(バブル)が特許件数の応じて大きくなるため、特許出願の傾向が直感的に把握できます。

図4から、この特許群には次のような出願が多いことが読み取れます。
①原料Eにより機能1を実現する製品(原料E×機能1)
②原料Dを含んだ製品
③機能2を実現する製品
特許権は独占排他権であるため、①②③には多くの参入障壁があることが予想されます。後発でこれらの製品を製造等する場合は、特許権の隙間を狙う、等の対応が必要です。一方、競争を回避する、ニッチを攻める、といった方針の場合は、(原料A~C)×(機能3~5)の9組について更に分析します。
なお、IPLの直訳が「知財風景」であるため、「IPL=パテントマップ」という解釈もありますが、否定的な見解が大勢を占めています(第2章①参照)。
特許権は独占排他権であるため、①②③には多くの参入障壁があることが予想されます。後発でこれらの製品を製造等する場合は、特許権の隙間を狙う、等の対応が必要です。一方、競争を回避する、ニッチを攻める、といった方針の場合は、(原料A~C)×(機能3~5)の9組について更に分析します。
なお、IPLの直訳が「知財風景」であるため、「IPL=パテントマップ」という解釈もありますが、否定的な見解が大勢を占めています(第2章①参照)。
パテントマップの活用
IPLにおいては、こうして得られたパテントマップに内部環境・外部環境を加味します。
図4から、注力すべき原料・機能を経営的に判断する場合は、例えば、原料・機能の次のような要素を数値化し、売上や利益と関連付けます。
・原料:入手の難易度、購入の総コスト、保管コスト、取扱の難易度
・機能:顧客のニーズ、機能実現の開発時間・コスト、生産設備の投資額、外注費
その結果、現行または見込みの営業利益について、図5(著者作成)が得られた場合、次のような開発方針が有力と考えられます。
・当面は「原料B×機能4」に注力する。
・「原料B×機能3」、「原料A×機能4」の可能性も視野に入れる。

中小企業におけるIPランドスケープの要点
IPLは、経営戦略・開発戦略の策定や新事業・開発テーマの選定に用いられる経営手法です。現状、IPLを取り入れているのは主に大企業やスタートアップ企業ですが、著者は、中小企業にとってもIPLは有用と考えます。
IPLで重要な「特許」の情報は公開されているため、中小企業も活用できます。特許の統計分析に、特許以外の情報や自社の事情(自社分析)を組み入れれば、IPLを実践できます。
一方、中小企業の特許出願は少ない(第4章参照)ため、中小企業にとって特許は馴染みが薄いと思われます。しかしながら、特許権は独占排他権であるため、経営戦略上重要です。よって中小企業は、自社の新技術の保護・活用について、特許の特徴を理解した上で、特許化を考慮に入れることが望まれます。
なお、中小企業の経営資源を勘案すれば、知財部の機能や新設、外部機関による支援については、検討の余地があります。
このような背景をふまえ、以下に、中小企業がIPLを実践するにあたっての7つの要点について述べます。
特許分析
特許情報は公開されていますが、その分析には一定の専門性が必要です。例えば、適切な特許群を形成するための検索式の組み立て方やその前提となる知識、特許の法制度に関する理解、が挙げられます。また、特許の内容を詳細に調査する場合は、特許の請求の範囲(出願人が求める権利範囲を記した書類)、明細書(発明の内容を記した書類)等を解読しなければなりません。解読にあたっては、これらの書類の独特の表現や言い回しについて、ある程度の“慣れ”が必要です。
特許以外の分析
IPLにおいて特許分析は重要ですが、特許権以外の産業財産権や、市場、競合、等の情報の分析が不可欠です。
実用新案、意匠、商標の情報については、特許と同様、J-PlatPatやPATRNTSCOPEで検索可能です。これらは、「件数」をベースに分析できるため、定量的です。
一方、産業財産権以外の知財(営業秘密、ノウハウ、ブランド、等)には、特許のような公的なデータベースはありません。よって、これらの分析は定性的になりがちです。情報源としては、Webページ、展示会、自社の営業活動、等が挙げられます。
市場、競合、等についても同様の情報源があります。
なお、近年ではAIの活用も有用ですが、ネット検索やAIの結果については、可能な限り信憑性を確認する必要があります。
自社分析
IPLにおいては、外部環境(例えば、上記の特許、市場、競合)の分析に加えて、自社分析(内部環境分析)が必要です。理由は、外部環境が同じであっても、各社の状況によって取るべき経営戦略、開発戦略、等が異なるためです。
自社分析としては、知財面では、自社の知財や知的資産の把握(例えば、技術の棚卸)、技術レベルの可視化、等が挙げられます。その他、財務、組織、設備、等についても考慮します。
なお、自社“以外”の者の視点を取り入れることにより、自社分析の客観性が高くなる可能性があります。
技術の保護・活用
特許権は独占排他権であり、経営上の優位性確保に寄与し得ます。しかしながら、全ての技術について特許化が望ましいのではありません。特許化に適するのは、次のような特徴を有する技術です。
・侵害品を入手できる。
・入手後、分析により、侵害を立証できる。
・他者による模倣や思い付きが容易である。
上の3の特徴を有しない技術(例えば、ある種のB to Bの生産技術)については、「営業秘密」化を検討します。但し、不正競争防止法に規定されている通り、営業秘密には次の3要件が必要です。
・秘密管理性
・有用性
・非公知性
特に、秘密管理性には注意すべきです。秘密管理性が認められるためには、当該技術情報(秘密情報)へのアクセス制限、等が必要です。
なお、経営上のリスクを低減するため、新技術の実施や事業化の前に、特許、営業秘密に関係なく、侵害可能性調査(当該技術が他者の特許権に抵触するか否かの調査)を実施します。抵触が懸念される特許がある場合、以下のような対応が考えられます。
・新技術の構成要素の変更
・特許権者に対する実施権の許諾の申請
・当該特許の無効化
特許出願
経営戦略上、新技術の特許化が必要な場合は、特許庁に特許出願を行います(特許の出願書類の作成等は弁理士の専権業務です)。また出願の前には先行技術調査(主に当該技術が新規性、進歩性を有する否かの調査)を実施します。
特許出願で最も注意すべき点は、そのタイミングです。特許出願は、新技術が上市等される「前」(即ち、公知「前」)に行う必要があります。例えば、実際に新技術に係る製品を販売し、その売上が順調であることを確認してからでは、特許化できません。これは、特許要件の1つである「新規性」が喪失するためです。
また特許庁は、出願を受けただけでは、出願内容(特許請求の範囲等)を審査しません。審査のためには、出願とは別に請求(審査請求)が必要で、その期間も特許出願から3年以内に限られています。
なお近年、出願された特許のうち、設定登録される割合は約76%(補足5)、補正を受けず(出願した内容が変わらず)に登録される割合は約14%(補足6)です。よって、6割以上の出願において、何等かの補正(特許請求の範囲の減縮、等)が行われています。
知財部
知財部は、IPLにおいて重要な役割を担います。しかしながら、独立した知財部や知財を専門性的に取り扱う部署を有する中小企業は少ないと思われます。また、今後IPLに取り組むにしても、中小企業の経営資源による制限(例えば人手不足)から、知財部の新設が難しいことも想定されます。
よって中小企業では、技術部門等の間接部門、場合によっては経営陣が、知財部の役割を担うことが現実的と考えられます。
外部機関による支援
上記の知財部の機能も含め、中小企業がIPLに係る全ての活動を担うことは、(特にIPL導入の初期において)困難と考えられます。そこで必要に応じ、外部機関による支援を仰ぐことが望まれます。
例えば、専門性を要する特許分析については、知財アナリスト(特許)の有資格者、特許分析のコンサルタント、弁理士、等による支援が考えられます。
一方、IPLに基づく知財経営を経営の一形態と捉えるなら、診断士による経営支援が選択肢のひとつになります。支援の一環として、内部環境分析や外部環境分析にも専門的に対応できます。また、技術に通じている診断士であれば、特許分析を含めた網羅的な支援が可能です。
まとめ
IPLは特許分析を特徴とする知財経営の一つで、一定の成果が上がっています。よって、モノづくり・コトづくりの中小企業がIPLを実践すれば、企業価値の向上や持続的な成長が期待されます。しかしながら、特許情報の分析等に専門性が必要な点と、中小企業の経営資源を考慮すると、中小企業がIPLに取り組む場合、外部機関から適切な支援を受けることが望ましいと考えられます。
【補足】
1 出典:https://www.jpo.go.jp/support/general/chizai_skill_ver_2_0.html
2 経済産業省HPの下記URLの図に基づき著者が作成。
https://www.meti.go.jp/policy/intellectual_assets/teigi.html
3 「特許行政年次報告書2025年版」(P.50, 51)に基づき著者が作成。
4 「特許行政年次報告書2025年版」P.4
5 「特許行政年次報告書2025年版」P.3
6 出典:https://www.jpo.go.jp/toppage/pph-portal-j/statistics.html
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