大阪中小企業診断士会は、2025年に設立40周年を迎えました。そこで今回は、40周年記念事業の第1弾として、理事長の池田朋之氏、前理事長の福田尚好氏による対談を実施。その模様を前編・後編に分けてお届けします。
前編では、仕事に対する向き合い方や、チームコンサルティングの重要性などを語っていただきました。大阪中小企業診断士会の歴史についても理解が深まるため、ぜひ最後までご覧ください。
なお、文中に出てくる大阪支部とは大阪府中小企業診断協会(府協会)の前身である中小企業診断協会大阪支部、士会とは大阪中小企業診断士会を指します。
理事長 池田 朋之氏
プロフィール
1991年 | 独立開業・(有)池田経営コンサルタンツ設立 |
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1993年 | 株式会社アソシエ 代表取締役 |
2011年~ | 流通科学大学非常勤講師 |
2013年~ | 大阪経済大学大学院非常勤講師 |
2019年~ | 中小機構近畿本部企業支援課管理者アドバイザー |
2023年~ | 中小機構近畿本部企業支援課シニアアドバイザー |
前理事長 福田 尚好氏
プロフィール
1970年 | 大阪市立大学商学部卒業 |
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1970年 | 日本ビクター(株)入社 |
1988年 | 福田経営研究所設立 |
2003年 | 大阪市立大学大学院経営学研究科修了 |
2006年 | (株)プラクティカルマネジメント代表取締役 |
2010年 | 大阪経済大学大学院客員教授 |
2012年 | (一社)中小企業診断協会全国本部会長 |
2017年 | 旭日中綬章 受章 |
このたび、大阪中小企業診断士会は設立40周年を迎えることができました。これもひとえに、長きにわたり業界を牽引された福田先生をはじめ、諸先輩方、会員の皆様あってのものです。心より感謝申し上げます。
この40周年という節目に、会の立ち上げから見守ってこられた福田先生と、私でこれまでの歩みを振り返り、未来について語り合う機会をいただけたことを大変光栄に思っております。本日はどうぞよろしくお願いいたします
私も非常に嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。
私が福田先生と初めて仕事をご一緒させていただいたのは、おそらく平成10年頃だったかと思います。これまでたくさんお世話になりましたが、25年以上が経過した今でも、忘れられない言葉があります。
それは「どんな仕事でも手を抜いてはいけない」です。
当然と言えば当然かもしれません。しかし、そう言っていただいたおかげで、今も一つひとつの仕事に全力で向き合えています。改めて、この言葉に込められた思いをお聞かせいただけますでしょうか。
ありがとうございます。要するに、仕事は金額の大小ではないんですよ。どれだけ一生懸命取り組むかが大事なんです。
一生懸命やれば、自然と受注金額は大きくなっていきます。たとえ安く感じる仕事でも、一度引き受けた限りは絶対に手を抜いてはいけないと思います。嫌なら最初から断ればいいだけで、引き受けた以上は全力投球する。これは今も変わらずに持ち続けている考え方です。
そのお話は、私も後輩によく伝えています。どうしても金額の大きい仕事と安い仕事を比べると、モチベーションの差が出てしまう人もいると思います。
関連する話として、福田先生はよく「どんな仕事でも絶対誰かが見てくれている」ともおっしゃいました。この言葉の真意もお聞かせください。
どういった仕事でも、誰が見てくれているかわからないものです。もしかしたら一握りの人しか見ていないことだってあります。でも、一生懸命やっていたら、必ず誰かが見てくれています。
その積み重ねが、思いがけない仕事の受注につながることも珍しくありません。実際に私も大阪で活動していますが、長崎や金沢など、まったく縁のない地域の方からお仕事をいただいたこともありました。
手を抜かずにやっていれば、どこかで誰かが見てくれている。これは私の経験談からも確証を持って言えますね。
福田先生が中小企業診断士として活動を始めた頃、中小企業診断士という資格をどのように見ておられたのでしょうか。先生は中小企業診断士そのものに対して、非常に強い思い入れがある方だと感じています。ただ、以前は今ほど認知度も高くなかったはずです。
おっしゃる通り認知度は低かったですね。当時は、実際に依頼を受けて企業に行くと、社長がまず言うのは「決算を申告したいので、見てください」という言葉です。
つまり、当時の中小企業診断士というのは、「税理士と同じような仕事をする人」という認識を持たれていました。
それほど、中小企業診断士という資格は知られていなかったのですね。
あまり知られていませんでしたね。今でこそ大阪府中小企業診断協会(府協会)の会員数が1,400名を超えていますが、私が活動を始めた頃はまだ400名程度でした。しかし、中小企業診断士という資格の認知度が徐々に高まり、世の中に広まってきたと思います。
かつて、中小企業診断士は「飯を食っていけない仕事」とも言われました。そういった風潮を取り払って、もっといい印象を持ってもらいたい。そのためにいろいろと取り組んだことを覚えています。
福田先生からよくお聞きしたのは、当時は大阪では仕事を取るのが難しかったということです。仕事のお話をいただいても、東京の本部に了承を得る必要があったと伺いました。
そうなんです。例えば、当時の府協会は、法人ではなく一支部で大阪支部に仕事の依頼があっても、必ず東京本部に了承を得る必要がありました。もし責任問題が発生した場合、本部が責任を取るという形でしたからね。
必ず本部の了承を得てからしか仕事を受けられない、そういう状況でした。
そのような状況だったんですね。当時、中小企業診断協会の大阪支部と、大阪中小企業診断士会はどういう関係だったのでしょうか。
中小企業診断協会大阪支部と大阪中小企業診断士会、2つの組織がありましたが、理事長はじめ、理事も担当者も兼任で、大阪中小企業診断士会はまったく機能しておらず、名前があるだけの状態だったんです。
仕事も理事が独占するような状況だったので発展性がない、これはなんとかしないといけないと思い、士会を「企業と中小企業診断士をつなげる組織」として活性化し、理事以外の人にも仕事が回る仕組みを作り上げたいという思いがありました。
会員の皆さんがしっかり仕事を取れるように、組織を変えていったわけですね。
おっしゃる通りです。そのためには機能分化を実現させ、大阪支部は会員支援機能に特化し、士会は診断業務や収益業務に特化する。このように役割を明確に分けなければ、組織がうまく回らないだろうと考えていました。
福田先生は士会の理事長だけでなく、大阪府中小企業診断協会の理事長も経験されたと記憶しています。その後、中小企業診断協会全国本部の会長も歴任されましたよね。
当時はまだ士会組織の構造を変えても、すぐに機能分化ができるとは考えていませんでした。そう簡単に事は進まないだろうと。
ですから、2年間は両方の理事長を兼任し、機能分化を組織内に浸透させる期間にしたんです。その後、それぞれの機能を果たせる組織になったことを見届け、両方の理事長から退きました。
先生が2年間かけて機能分化を根付かせてくださったおかげで、士会が「企業と中小企業診断士をつなげる組織」として機能するようになったと感じています。
今日に至るまでの間に、士会の売上が増え、会員数も400名を超える規模になりました。これはまさに、先生が機能分化されたことによる成果ではないでしょうか。
そう言っていただいて非常に嬉しいですが、最終的には皆さんの努力の賜物ですよ。私が理事長を退いて以降の理事長や理事の皆さんがしっかりと運営していただいたからこそ、今の士会があります。
機能分化という一つの形は作りましたが、それを活かせるかどうかはその後の組織運営にかかっていますから。少しでも自分が貢献できていたなら、それほど嬉しいことはありません。
実際に機能分化されたことで、当時N社のような大きい仕事も取れるようになりました。福田先生ともご一緒させていただいて、今でも忘れられない仕事です。
5人で一千万円を超える規模の仕事でしたよね。私も印象に残っています。
チームで仕事をする楽しさを感じられたのは、N社の仕事が初めてだったかもしれません。何度も打ち合わせをして、企画書を作って、プレゼンをして……
大変な部分もありましたが、私が今でもチームコンサルティングを推進しているのは、あの時のイメージがずっと心にあるからです。個人で活動する中小企業診断士が多い中、チームでやることの重要性は福田先生もおっしゃっていますよね。
チームで一つの仕事に取り組むのは本当に大事です。チームで動くことで相乗効果が生まれますし、さまざまな分野の専門家が集まれば、より内容の濃い仕事ができます。
何をするにも一人では限界があると考えています。「この分野は強いけど、この分野は少し苦手……」ということもあるはずです。ただ、そういった仕事の受け方は、お客様に対して失礼だと私は思います。
そういう意味でも、士会という組織で対応することによって、大きな仕事も受けられるようになりました。
機能分化によって、組織として仕事を受注する力が上がったわけですね。
それまで機能していなかった士会を立ち上げ、大阪支部と役割をはっきり分けることで、診断業務に特化した組織として動けるようになりました。その結果、N社のような大型案件も、チームで受注できるようになったわけです。
これは機能分化の大きな成果の一つだと考えています。チームで専門性を活かせるという点でも、士会組織の強みが出ましたね。紆余曲折ありましたが、少しずつ組織が良い方向に向かっている実感がありました。
前編では、福田前理事長の仕事への向き合い方、黎明期の中小企業診断士を取り巻く環境、そして士会の設立と機能分化に至るまでの経緯などを伺いました。
「どんな仕事も手を抜かない」という姿勢は、池田理事長をはじめ多くの中小企業診断士に影響を与えてきました。「これからもっと活躍したい!」という方にとって、ヒントになる言葉だったのではないでしょうか。
後編では、福田前理事長が全国本部の会長として取り組まれた組織改革、組織のトップとしての心構え、中小企業診断士の将来展望などを伺っていきます。